三日坊主ではないかもしれない

無個性無気力女子大学生の日記

創作短編小説『ゆらゆら』

 

 

ゆらゆら

 

 

 

 雨が、降っている。

 

 目が覚めたら、いつもの公園にいた。でも、あぁ、夢かと、ぼくは直感的にそう思った。やっと起きた、と苦笑いするあいつが隣に座っていたから。

 

 あいつがぼくを置いていったのは、初めてできたカノジョを連れて来たときだった。

 この前の学祭の後から付き合ってるんだと、あいつははにかみながら言っていた。見たことのない顔だった。

 どこで知り合ったんだとか、何か言ってくれてもよかったのにとか、聞きたいことはたくさんあったけれど、ぼくはその顔を見て押し黙った。

 心臓が、嫌な感じにザワザワする。

 

 ちょっと歩こうよと、あいつが言う。ベンチを離れると、雨粒が頬を撫でた。お前傘持ってないのかよ、と小突かれる。

 相合傘はカノジョとだけで十分だろうと返したら、何だそれと笑われた。

 

 あいつがぼくを置いていったのは、あいつの絵が初めて全国コンテストで入選したときだった。

 ぼくはいつもの通り佳作にも入らなかった。あの絵はそんなに納得いった訳じゃなかったし、今回お前の作品は色遣いがめっちゃ良くて好きだった、とあいつは言った。

 その言葉に、ぼくはかつて無いほどの焦りを感じた。

 心臓が、嫌な感じにザワザワする。

 

 今度は父の肖像画を描いてみるんだと、あいつが言う。妙にリアリティがある夢だとぼくは思った。

 誰よりも嫌いな父親の絵でコンテストに入賞したらこれ以上面白いこともないと、あいつは下衆な手の内をあっさりと明かす。水溜まりに躊躇なく足を突っ込むその姿すら、ぼくにはカッコよく見えた。

 

 あいつがぼくを置いていったのは、アトリエに来なかったときだった。

 世間一般では、カノジョというものは友達との約束よりも、優先しなければならないものらしい。カノジョよりぼくの方がずっと一緒にいたし、あいつの絵の良さだって何倍もわかっている。ぼくはそもそも男だし、そんなことを張り合っても意味がないのに、無性にイライラした。

 まだ、明日講評の絵を完成させられていない。雑に貼られて壁から剥がれかかったコンテストの表彰状と、あいつからのごめん!というメッセージが待ち受けに浮かび上がるスマートフォンを横目に見ながら、ぼくはいちばん黒い絵の具を手に取った。

 心臓が、嫌な感じにザワザワする。

 

 自販機で買ったココアを開ける。暖かさが、雨に濡れた身体に染み渡っていく。話題は制作中のぼくの絵に移って、構図はああでもないこうでもないと、あいつが首を捻っていた。あいつは、不思議なことにぼくの絵をとても気に入っていた。

 先ほどから誰ともすれ違わない。聞こえてくるのは、あいつがぶつぶつ呟く声と、雨が地面を叩く音だけだ。まるで世界に二人きりになってしまったみたいだと、柄にもないことを思った。

 

 あいつがぼくを置いていったのは、大学受験予備校に入ったと聞かされたときだった。

 あいつの両親は、息子が美大へ行くことに反対らしかった。美大受験は厳しいしお金もかかる。卒業したとしても、安定した仕事に就けるかはわからない。

 そんな親の言い分を、あいつは苦虫を噛み潰したような顔でもっともだと評した。ここで勉強したことも役に立つし、フラフラしてばっかじゃダメな気もして、とあいつは言った。

    心臓が、嫌な感じにザワザワする。

 

 海外の大学受けることになった。ココアの缶が空になった頃、あいつは脈絡もなくそう語った。えっ、と声が出た。

 心臓が、嫌な感じにザワザワする。

 嘘だ、今は夢を見ているはずだろう。そう返しても、あいつの表情は変わらなかった。

 もうアトリエには行けない、ごめんな、楽しかった。あいつはぼくに背を向けると、早足で歩き出した。

    しばらく呆然とした後、ぼくは弾けるように走り始めた。待ってくれよ。

    心臓が、嫌な感じにザワザワする。

    雨が、槍みたいに突き刺さって痛い。夢の中でくらい、ぼくを置いていかないでくれ。足がもつれる。それでも、ぼくはスピードをあげてがむしゃらに走った。

 

 走り続けていると、光が見えてきた。

 気がつくと、周りには建物が何もない。髪の毛も服も、ずぶ濡れだ。どこに来てしまったんだろうか。でも、そんなことはどうでもよかった。

 スポットライトのように、一点だけを照らした光。その中に、ひとつ影が見えた。

 あぁ、やっぱり、夢だ。きっとあいつが待っている。そして、今日もニッと笑って、ぼくをアトリエに誘ってくれる。どうせ醒めてしまうなら、あと少しだけ夢を見ていたっていいじゃないか。

 

雨が、まだ降っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学の授業課題で書いたものから若干加筆修正して供養します。